(1597〜1666)
法名 天樹院殿栄誉源法松山大禅定尼
二代将軍徳川秀忠の娘。慶長8年、7歳の時に豊臣・徳川両家の関係を好転するため豊臣秀頼(11歳)に嫁し、大阪城に入る。元和元年(1615)大阪夏の陣で豊臣氏が滅亡後播州姫路城主本多忠刻に再嫁する。寛永3年忠刻の死により江戸へ帰り30歳にして落飾し天樹院と号す。寛文6年、69歳の逝去。