享禄元年(1528) 刈屋城主水野忠政の娘として生まれる
天文10年(1541) 14歳で岡崎城主松平広忠に嫁ぐ
天文11年(1542) 岡崎城内で竹千代を出産(後の徳川家康)
天文12年(1543) 父水野忠政逝去、兄信元が刈屋城を継ぐ
天文13年(1544) 信元が織田方に付いたため、松平家を離縁され刈屋に戻る
天文16年(1547) 阿久比城主久松俊勝に再嫁
竹千代が織田家の人質となる
永禄 3年(1560) 桶狭間の戦い以後織田家の勢力が増す
永禄 4年(1561) 家康は今川家と縁を切り、織田信長と同盟を結ぶ。その後於大と家康が再会する
天正10年(1582) 久松俊勝逝去
その後、髪をおろし傳通院と号す
慶長 5年(1600) 関が原の戦い 家康が天下を統一する
慶長 7年(1602) 伏見城にて逝去
智恩院で葬儀、遺骸は江戸に移され大塚町で火葬され後に傳通院に埋葬される